双眼鏡で月面をのぞくと多くのクレーターを見ることができます。ティコ、ケプラー、コペルニクスなど高名な天文学者にちなんだ大きなクレーターのほかにも、月探査機が観測した中小のクレーター、さらには地球に持ち帰られたサンプルの顕微鏡観察で確認されたマイクロクレーターなど、月面にはきわめて多くが存在しています。クレーターは隕石の衝突で形成され、小さなクレーターは小さな隕石が、巨大なクレーターは巨大な隕石が作ります。クレーターの大きさと数の間には数学的な法則性があり、巨大なクレーターは、頻度は小さいながらも巨大隕石の衝突が確かに起きていたという証拠でもあります。
さて双眼鏡を太陽のほうに向け…てはいけませんね。太陽の表面でも大小さまざまな爆発が起こっています。この爆発現象は「太陽フレア」と呼ばれ、そのうち大規模な「スーパーフレア」はわれわれの生活に影響を及ぼします。
今年4月、総務省の有識者組織は100年に1回程度の頻度で発生するスーパーフレアの影響に関するレポートを発表しました。そこでは「最大2週間程度、断続的に無線通信が使えなくなる」といった最悪シナリオが示され、メディアでも大きく取り上げられました。
月のクレーターが示すように、スーパーフレアも稀ながら起こりうる事象です。少なくとも、心の準備くらいはしておく必要がありそうです。
宇宙天気の警報基準に関するWG報告:最悪シナリオ(総務省, 2022-04-26)
https://www.soumu.go.jp/main_content/000811921.pdf
シナリオで示された社会生活への影響がどういう機序で起こるのかを見てみましょう。太陽フレアのファーストインパクトは、地球を襲う強力な電磁波によるものです。
一部メディアでは「発生から約8分後に影響が..」などと説明されていましたが、これは太陽から地球まで光(電磁波)が到達するのにかかる時間を示しているだけのことで、大爆発の発生や電磁波の到達を前もって知ることはできません。
到達した電磁波は、たとえば電力ネットワークに影響を与えます。具体的には、送電設備がアンテナの役割を果たして発生する、異常な誘導電流がきっかけとなります。送電網には、電源周波数(50Hz/60Hz)を常時監視し、異常時には一部分を停電させてでも全体の受給バランスを均衡させる仕組みが備わっています。家庭におけるブレーカーも原理は違いますが、目的とするところは同じです。全体に影響が及ばないよう一部分を切り離すわけです。太陽の電磁波の影響で設備に生じる異常な電流は、もともとの電流に比べればごくわずかにしかすぎません。しかしそれがネットワークの保護システムを誤作動させ、大規模な停電を引き起こすかもしれない、とレポートは指摘するわけです。
スーパーフレアの際には、太陽近傍で、最大で光速の3分の1(秒速10万km程度)まで加速された高エネルギーの素粒子が生じることがあります。短く言うと「放射線」です。
この放射線は数十分~数時間後に地球に到達します。
大気の層に守られた地表では一時的に放射線レベルが上昇するだけですが、守るもののない宇宙空間では、より深刻な影響が出る場合があります。
2003年に観測史上最大規模の太陽フレアが発生したとき、小惑星探査機はやぶさ(初代)はちょうど宇宙空間を航行中でした。この直撃を受け、おそらく電子回路にはシングルイベントと呼ばれるビット反転のエラーが生じたことでしょう。その種のエラーは回復可能ですが、いっぽう太陽電池パネルには回復不能な性能劣化が生じました。
「はやぶさ」は太陽電池で発生した電力を推進力に変換するイオンエンジンを搭載していました。発生電力の低下はその後の探査機運用に制約を与えることになります。満身創痍でサンプル回収に成功した初代はやぶさの、最初の試練がこれでした。
一般に人工衛星では太陽フレアの発生時には、太陽に向けていた太陽電池パネルを90度回転させ、なるべく投影面積を少なくする運用が行われます。板が雨に当たらないよう、垂直に立て置くイメージです。宇宙飛行士のいる宇宙ステーションでは船外活動などを中止し、壁の厚いモジュールに移動して放射線をやりすごすなどの対策がとられます。
太陽観測衛星などで発生をキャッチし、それに備える仕組みもある程度は整えられています。
スーパーフレアで発生した電磁波、放射線に続き、最後に地球に到達するのが「コロナ」です。コロナウイルスの語源にもなっている太陽コロナは、皆既日食の際、太陽周縁に見える放射状のガス流で、100万度を超える高温のプラズマ層のこと。スーパーフレアではこのコロナからプラズマの塊が放出され、毎秒数十~数千kmの速度で宇宙空間に飛び出します。その際に生じる衝撃波で素粒子が加速されると考えられています。これがコロナ質量放出(CME: Coronal Mass Ejection)と呼ばれる現象です。
焚き火が爆(は)ぜるのと同じで、火の粉の飛ぶ先に地球があるとやっかいなことが生じます。地球と宇宙との境目である大気上層には、大気分子が太陽放射エネルギーを得て電離したプラズマとなって漂う「電離圏」が存在しています。電離圏の状態が電波伝搬に影響することは知られていますが、その電離圏にCMEがインパクトを与えると、無線通信に混乱が生じます。
先のレポートで示された最悪シナリオでは、「短波帯の通信が使用不可」「防災行政無線等が昼間に断続的に使用不可」「携帯電話の昼間数時間程度のサービス停止が継続」など通信への影響のほか、衛星測位も「大幅な精度劣化や測位途絶が断続的に発生」とされています。メディア報道では「2週間程度」とその期間が強調されていましたが、スーパーフレアの規模と継続期間を2週間程度として推測したシナリオであったためで、それよりもっと短いかもしれませんし、場合によっては長期化するかもしれません。
いずれにしても、こうした規模のスーパーフレアは現代社会の根幹に深刻な影響を及ぼしかねず、それに対する備えも検討を始めなければならないとレポートは指摘します。
いまの人類の科学技術力では、スーパーフレアそのものを防ぐことは不可能です。先のレポートではその影響として「測位精度の劣化」も強調されていましたが、そこで触れられていなかったのは測位精度劣化に伴い必然的に生じる「時刻精度の劣化」です。
最悪シナリオで挙げられたような多くのシステム――電力ネットワークの制御、デジタル放送、携帯電話ネットワークなど――は、GNSS時刻同期に多くを依存します。それらのシステムは、いったんことが起これば電波伝搬異常と時刻精度劣化という二重のインパクトを受け、社会生活が脅かされることになるわけです。
ではその影響を最小化し、なるべく速くリカバリするためには、どのようなアプローチがあるでしょうか? たとえばハードディスクなら、ある確率で起きる故障は避けられなくとも、頻回のバックアップを行えば影響は小さくできます。スーパーフレアに対してそのようなアプローチはあり得るのでしょうか?
ここからは架空のシナリオです。
水底に暮らす生き物は、底まで届く光のゆらめきから「今日は静かだな」「今日は波がたっているな」と水面の様子を知ることができます。我々も宇宙から届く電波を見ることで、電離圏に立つ波を可視化することができるようになっています。
過去には、東日本大震災で生じた海面の変化が大気上層の電離圏に到達、その影響が波となって伝搬していく様子が捉えられています。日本各地に配置された、GNSS信号の常時観測を行う施設「電子基準点」の観測データを分析することで、池に落ちた石の波紋が広がっていくのと同じようなイメージを得ることができるわけです。
地球を直撃するCMEの影響は、地球の太陽を向いた側、つまり昼間に多く生じます。夜間も影響がないわけではありませんが、昼間に比べ静穏になるはず。そこで静穏な夜間に取得した時刻を足がかりに、昼間の混乱を影響を受けたシステムを順次立ち直らせる、という方策も考えられます。そもそも通信網が混乱しているため、他に頼ることはできません。GNSS受信機自身が単独で、測位衛星ごとに信号の信頼性を評価し、相当程度確からしいと思われる時刻を取得する機能が必要となってきます。あれ、どこかで聞いたことがあるような..。
1964年石川県生まれ。産業技術や先端技術・宇宙開発についての取材経験をもとに、子供からシニアまでを対象に難解なテーマを面白く解きほぐして伝えることに情熱を燃やす。宇宙航空研究開発機構機関誌「JAXA's」編集委員(2009-2014)。著書・共著書に『あなたにもミエル化? ~世間のなりたちを工学の視点から~』(幻冬舎mc)、『私たちの「はやぶさ」その時管制室で、彼らは何を思い、どう動いたか』(毎日新聞社)、『東京大学第二工学部70周年記念誌 工学の曙を支えた技術者達』(東京大学生産技術研究所)ほか。
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