コラム
重力や時間の、見過せない「わずか」の話【後編】

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唯一無二の東京スカイツリー

花火よりはるかに高くそびえ、頂きが雲に霞むこともしばしば。天候が許せば、世界最大級の人口集積地である関東平野を一望できる東京スカイツリーは、日本で最も高く、世界でも2番目に高い自立建造物です。テレビ・ラジオ放送の送信アンテナや無線中継施設などを備える電波塔としての役割を333mの東京タワー(1958年竣工)から受け継ぎ、2012年に完成しました。

前任者の倍近い634mという飛び抜けた高さを与えられたことで、東京スカイツリーは都市のシンボルや電波塔を超える役割を果たしています。降雨や気温、雷などの気象観測や、雲粒や微粒子などのサンプリングを行う科学観測プラットホームとしての役割です。観光客の絶えない展望台も、あえて言うなら広範囲にわたる電磁波(可視光)の観測プラットホームと呼ぶことができるでしょう。ヒートアイランド現象を追跡するための赤外線カメラによる市街地の定点観測、地デジの放送波を使ったゲリラ豪雨予測のための研究開発(コラム『時計が確かなら「雲も掴める」というお話』で紹介)なども、これなしには進められない研究テーマでした。

圧倒的な高さを生かして2020年にここで行われた、非常にユニークかつ先端的な実験の概要と意図をご紹介します。

夜空を彩る花火は各種元素の炎色反応の競演です。光格子時計の原振となる元素・ストロンチウムも多く使われています
(写真:墨田区オープンデータ「隅田川花火大会画像」をトリミングして使用)

18桁精度の時計とは何者なのか

2020年4月7日、東京大学と理化学研究所らの研究グループは、以下のような題名で報道発表を行いました。

可搬型光格子時計の開発に世界で初めて成功-東京スカイツリーで一般相対性理論を検証-
https://www.riken.jp/press/2020/20200407_2/

スカイツリーと相対論というパワーワードのかけ合わせもあって大きく報道され、ご記憶の方も多いかと思います。一読で把握するのは難しいのですが、筆者なりに要約してみると「空前絶後の時計が完成!」となります。何がどうしてそうなるのか、順を追ってご説明したいと思います。

1)光格子時計とは何か?
光格子時計とは、今世紀が始まった2001年に東京大学助教授(当時)の香取秀俊氏が提唱した新しいタイプの原子時計です。「光」と「格子」の由来は、原振となる原子を収容する多数の微小空間を、レーザー光の精妙な制御により空間内に規則的に配置したことからきています。これにより多数の原子の振動の平均値を短時間に取得し、きわめてゆらぎの少ない周波数を得る(時を刻む基準とする)ことができます。また周波数がギガヘルツ帯となるマイクロ波領域の電磁波を使う従来のセシウム原子時計などより、さらに高い周波数となる可視光領域の電磁波を使うことも、「光」が冠される理由です。

2)18桁精度とはどの程度の正確さなのか?
発表文の「18桁精度」とは、時計の精度そのものを意味する周波数ゆらぎが10のマイナス18乗のオーダーであるという意味です。100分の1秒まで正確な時計なら2桁精度、10億分の1ならば9桁精度となり、18桁精度は10億分の1のさらに10億分の1の正確さを意味することになります。ニュースなどでは「300億年で誤差1秒以内」というフレーズが枕詞として使われますが、これは10のマイナス18乗の逆数となる10の18乗秒が、ビッグバンによる宇宙の始まりから現在まで(宇宙年齢、~138億年)を軽々超える大きな数になることから、そのとてつもなさを強調しようとする、あくまで定性的な表現です。唐代の詩人・李白の「白髪三千丈」と同様、300億年という数字の収まりが良いので定着した表現にも思えます。

閑話休題。現在の1秒の基準を決めているセシウム原子時計は15~16桁の精度に達しています。それを2桁以上も上回る光格子時計は、次世代の秒定義の有力候補です。ストロンチウム(Sr)、水銀(Hg)、イッテルビウム(Yb)などを使う光格子時計の研究が世界中で進められていますが、いっぽうでこの光格子時計の18桁精度を、現存するセシウム原子時計で検証するのは困難です。最小目盛りが1cm刻みの巻き尺で0.1ミリを正確に計測するのと同じことになってしまうからです。

したがってこの時計が18桁精度に到達していることを確かめるには、既存の時計に頼らない別の方法を見つけなければなりませんでした。

3)精度は「一般相対性理論」の領域に
そこで持ち出されたのがアインシュタインの一般相対性理論でした。詳細は他に譲りますが、SF作品でも繰り返し登場する「重力と時間の進み方」についての理論です。相対論から導かれる「重力場の中では場所によって時間の進み方が異なる」「地上では、標高が高いほど時間は早く進む」という事象を確認することで、結果的に18桁精度を実証しようという実験が企画されました。

じつは研究グループは2016年に、埼玉県和光市の理化学研究所と、東京都文京区の東京大学本郷キャンパスに設置された3台の光格子時計を使い、時間の進み方=周波数の違いを検証する実験を行っています。標高差(正確には重力ポテンシャル差)が時間の進み方に与える影響を確認するうえで、正確な標高差の測定が必要となったため、研究グループに国土地理院が加わって精密な測量を担当。そのうえで両地点に置かれた光格子時計が出力する周波数の比較も行ないました。実験は両者を光ファイバーリンクで結びリアルタイムで行われました。

同じ高さに設置された理研の2台の光格子時計は、18桁で周波数が一致し、いっぽうそれらと比較して東京大学の残り1台の光格子時計はわずかに低い周波数を刻んでいました。レファレンスとなる「国土地理院が求めた標高差(約15m)」と、「周波数差から一般相対論により導出された標高差」が誤差の範囲で一致したことで、「光格子時計で標高差の測定に成功」と発表されました。

4)東京スカイツリーの果たした役割は何なのか?
2016年の実験により、時計で標高差を測る「相対論的測地」の可能性が示されました。ただ、当時の実験で使われた光格子時計は移設困難な大型の装置です。測地に用いるためには、現場に持ち込める適切なサイズと、輸送に耐える堅牢性を備えた、新たな装置が必要となります。

研究グループに島津製作所が加わり、19インチラックに収まる光格子時計が2台製作され、東京スカイツリーの地上階と展望台「天望回廊」の2か所に持ち込まれました。

2か所の標高差はGNSS測量により452.6489m、床板の厚みなどを加味した水準測量により452.61mという値が得られました。また、鉄鋼構造物である東京スカイツリーでは、日射による温度変化での部材の伸縮が避けられません。しかし、「タワー上部では水平方向に最大20cm程度の日周運動」が観測されましたが、検証を左右する「鉛直方向の影響はコンマ数mm程度で十分無視できる」ことも確認されています。建築エンジニアリングの視点からも興味深い結果です。
上図は『東京スカイツリーを利用した相対論的測地効果検証のための比高観測』(国土地理院)より引用。

人類史に足跡を刻む大発明

2台の時計を比較すると、展望台のほうが21.18Hzだけ高い周波数を刻んでいました。地上の時計で計測した1秒間のうちに、展望台の時計の原子は21.18回だけ多く振動していることを意味します。原子の性質が変化したのでない限り、展望台のほうが「時間が早く進んでいる」ことを示すものです。

レファレンスとなる標高差測定にはレーザー測量と、国土地理院によるTS(トータルステーション)なども用いた水準測量、およびGNSS測量が用いられ、標高差がcm精度で算出されました。また、前編記事で紹介した相対重力計を用いた精密計測も行なわれました。測量のプロが精魂込めて行った計測による標高差(正確には重力ポテンシャル差)と高低2台の光格子時計の21.18Hzという周波数差が一般相対性理論通りに結び付けられ、さらに、2台を研究室に持ち帰り、同じ高さに設置し検証したところ、18桁での一致も確認されました。

つまり、異なる高さに置かれた2台の時計は高さの差を反映した時を刻み、それが同じ高さに置かれたときは18桁精度で同じ時を刻んだわけです。2016年の実験では、定置された時計を用いていたため器差(機器の個体差)が影響した可能性を排除しきれませんでしたが、ここに至り、18桁精度の光格子時計の完成が宣言されました。

18世紀なかばのフランスで、船で運べる正確な時計「クロノメーター」が誕生しました。このニュースにつける見出しとしても「空前絶後の時計が完成!」のタイトルはまったくふさわしいものだと思います。これにより人類は地球上に正確な経線を刻めるようになりました。センチメートル精度の標高測定を可能にする可搬型の光格子時計が、その本領を発揮するのはまだ先のことかもしれません。だとしても、この完成は大航海時代のクロノメーターに匹敵する意義を持つと筆者は考えます。

なお、発表文には「この成果は、およそ1万キロメートルの高低差を利用するロケット/人工衛星を使った相対論検証実験に迫る精度です。従来よりも1万倍高精度な原子時計を使うことで、宇宙実験に比べて1万倍以上少ない高低差で、同等の実験が可能になりました。」とも触れられています。高高度の宇宙空間を高速で周回する人工衛星上で刻まれる時刻と周波数の正確さを保証することは、GPSをはじめとするGNSSの核心であり、相対論との関わりは避けて通れないテーマです。稿を改めてご紹介したいと思います。

重力や時間の、見過せない「わずか」の話【前編】

記事のライター

喜多 充成氏

喜多 充成   科学技術ライター

1964年石川県生まれ。産業技術や先端技術・宇宙開発についての取材経験をもとに、子供からシニアまでを対象に難解なテーマを面白く解きほぐして伝えることに情熱を燃やす。宇宙航空研究開発機構機関誌「JAXA's」編集委員(2009-2014)。著書・共著書に『あなたにもミエル化? ~世間のなりたちを工学の視点から~』(幻冬舎mc)、『私たちの「はやぶさ」その時管制室で、彼らは何を思い、どう動いたか』(毎日新聞社)、『東京大学第二工学部70周年記念誌 工学の曙を支えた技術者達』(東京大学生産技術研究所)ほか。

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