以前のコラムで、東京スカイツリーで行われた相対論効果を検証する実験の概要について紹介しました。「地上と展望台の2台の光格子時計の発振周波数を比較したところ、展望台の時計は21.18Hzだけ大きい周波数を刻んでおり、これは標高と重力の差から導かれる理論予測と一致した」という実験でした。
両者の差として絶対値で示された21.18Hzは、比率でいうとどの程度になるのでしょうか? ストロンチウム(87Sr)の発振周波数は429テラHz(429,228,004,229,873Hz)なので、これを分母、21.18を分子とすると、値は「4.93/100兆」となります。
上記の値は4.93E-14とも表記されます。Eは10のべき乗で、E-14は10のマイナス14乗を意味するものです。ごくごく小さい値ではありますが、高低差が大きければこの値はもっと大きくなるはずです。
GPSの測位信号の仕様を示す文書ではFrequency Plan という項目で、相対論補正に関する具体的な数値が示されています。
同項目ではまず前段で「GPSでは10.23MHzの共通周波数を逓倍して搬送波(キャリア)を生成しており、キャリアの中心周波数は、L1ではその154倍の1575.42MHz、L2では120倍の1227.60MHzである」と解説があり、補正値について以下のように説明しています。
“The nominal frequency --- as it appears to an observer on the ground --- is 10.23MHz. The SV carrier frequency and clock rates -- as they would appear to an observer located in the SV -- are offset to compensate for relativistic effects... The clock rates are offset by ⊿f/f = -4.4647E-10... is equal to 10.2299999954326MHz.”
(訳)地上の観測者から見た共通周波数の公称値は10.23MHzである。衛星の搬送波周波数やクロック速度は相対論効果を補正するためオフセットされており、衛星の機上で計測した場合の補正量は-4.4647E-10、これは10.2299999954326MHzに等しい。(IS-GPS-200M)
共通周波数の10.23MHz、補正値である-4.4647E-10を数値で示すだけでなく、補正後の周波数が「10.2299999954326MHzに等しくなる」と、小数点以下14位まで数字を連ねる念の入れようです。それだけこの数値が重要であることがうかがえます。
この-4.4647 E-10という補正値は、衛星の軌道上と地球上で時間の進み方がどれほど違うかをダイレクトに示す数値でもあります。東京スカイツリー実験の「4.93/100兆」と表記をそろえて比較してみると、GPSのそれは「4.46/100億」となります。どちらも小さな値ながら両者の間には1万倍もの差があることがわかります。
また、衛星の軌道が変われば必要な補正量も変わってくるはずです。GPSと信号の互換性がある日本の測位衛星システム「みちびき」の軌道高度は、最大約4万kmです(準天頂軌道をとる衛星1R、2、4号機の場合)。その信号仕様を示す文書では、補正量について以下のように記されています。
“However, the nominal frequency(f0)=10.23MHz is offset by the ⊿f/f0 = -5.399E-10 to compensate for frequency difference between the ground surface and satellite orbit due to the relativistic effects. For this reason ... the L1 band signal is offset by -0.8506 Hz (nominal).”
(IS-QZSS-PNT)
(訳)共通周波数の公称値10.23MHzは、地上と衛星軌道上の相対論効果による周波数差を補償するため-5.399E-10だけオフセットされる。これによりL1信号(のキャリア周波数)は-0.8506 Hzだけオフセットされることになる。
数値を比較すると、GPSの「4.46/100億」に対し、みちびきは「5.40/100億」となります。多少の違いがあるとも言えますし、軌道高度の違いほどは違わないとも言えます。
では、もしこうした補正を加えずにGPSを運用することはできたでしょうか?計算は複雑にはなりますが、必要な補正量はわかっているため不可能ではなかったでしょう。ただ地上と衛星で歩度(時間の進み方)が異なる2つの時系を、長期にわたって齟齬なく維持するという、相当にやっかいな仕事が発生します。
たとえば人類は過去に、協定世界時(UTC)を地球の自転に基づく世界時(UT1)に合わせる調整作業「うるう秒の挿入」を、27回行なってきました。しかし、調整にともない発生する他の煩雑な作業を避けるため、うるう秒による調整は当面の間行われないことになりました。もし相対論補正なしのGPSがあったとすると、そこで必要な調整作業は「うるう秒」よりはるかに細かく頻繁なものになっていたはずで、そんな仕組みは早々に見放されていたことでしょう。
それよりは地上の時計を基準とし、地上から見たときの衛星の時計を地上に合わせるという現在の方法が、よりシンプルな解決策に思えます。むしろ、そうでなければGPSは成り立たなかったでしょうし、であったからこそ軌道高度が異なるみちびきのような衛星との相互乗り入れも実現したわけです。
地球の1/6の重力しかない月面では、地球の1日あたり57.5μsだけ速く時間が進むといいます。表記を測位衛星のオフセット値と合わせると、その値は6.655E-9となります。測位衛星よりヒト桁大きい値ですが、値がはっきりしている限りエンジニアのみなさんがなんとかしてくれるはずです。
1964年石川県生まれ。産業技術や先端技術・宇宙開発についての取材経験をもとに、子供からシニアまでを対象に難解なテーマを面白く解きほぐして伝えることに情熱を燃やす。宇宙航空研究開発機構機関誌「JAXA's」編集委員(2009-2014)。著書・共著書に『あなたにもミエル化? ~世間のなりたちを工学の視点から~』(幻冬舎mc)、『私たちの「はやぶさ」その時管制室で、彼らは何を思い、どう動いたか』(毎日新聞社)、『東京大学第二工学部70周年記念誌 工学の曙を支えた技術者達』(東京大学生産技術研究所)ほか。
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