一見無味乾燥な数値でも、その意味を知ることで人は、感激したり感動したりすることができます。
2024年1月20日、午前0時20分(日本時間)。月面へのピンポイント着陸を目指す「SLIM」の最終降下フェーズを、インターネット越しに多くの人が見守っていました。
「将来の月面探査に向けたスマートな着陸機」を意味するSLIMは、名前の通り質量が200kg台と、先行各国の探査機に比べ大幅に小型軽量でありながら、難易度の高い高精度着陸を狙う探査機です。「降りたい場所、調べたい場所に降りられるようにする技術」を数値に置き換えると、100mオーダーの着陸精度となり、先行各国の数km~数十kmを大幅に上回ります。もちろん世界初の挑戦です。
SLIMを開発したJAXA(宇宙航空研究開発機構)は、この挑戦を見守る人々に向け、SLIMから送信されるテレメトリデータをリアルタイムで配信しました。予定した軌跡と現実の軌跡がグラフに示され、姿勢、エンジンの動作、燃料残量、高度などを示す数値が見やすく一画面のようにまとめられたものです。多くの宇宙ファンがこの「月面からの生データ配信」を見守りました。
最終降下フェーズではSLIM自身の判断により、減速や姿勢維持のためにエンジン噴射が行われ、数値やグラフは目まぐるしく動きます。ゲームの世界のように見えますがこれは、いままさに月面の上空で起こっている出来事を伝える画面です。高度が50km、10km、8kmと低くなるにつれ数値の変動は目まぐるしさを増していきます。さらに500m、300m、100mと降下し、変動はあるところでピタリと止まりました。
もし減速に失敗し月面に激突したなら、機体は壊れ信号も途絶えるはず。動きの止まったテレメトリ画面を前にしばし沈黙が流れます。しかし画面のある一つの数値に、宇宙ファンは気づきました。
その数値とは、IMU(加速度計)が示す値です。地球の重力は約9.8m/sec^2で、月面の重力がその約6分の1であることは知られています。テレメトリ画面にはまさにドンピシャの1.628 m/sec^2 という値が示されていました。これが意味するのは「センサーの取得した数値が正常に地球に送信された」「その値は現実の物理と矛盾しない」「したがって機体も機能も正常であると思われる」、つまり「機体はじゅうぶんに減速して月面に達した」ということになります。もっと短く言うと「着陸成功!」です。
筆者もリアルタイムで見守った一人でしたが、まさか加速度の数値に興奮できるとは思いませんでした。
その後、SLIMは倒立した状態で静止していたことが、分離した子機が撮った写真で確認されました。衝撃的すぎる映像を報道で目にした方も多いと思います。またピンポイント着陸の精度は目標の100メートルを下回る55mを達成していたことも判明。それも降下の最終段階で2基あるエンジンのひとつを故障喪失したにもかかわらず、でした。もしエンジンが2基とも健全なら目標点から3~4mというさらに桁違いの成功となっていた可能性がありました。
加えて、当初の予定にはなかった、極低温が2週間続く月の夜を経て機能回復する「越夜」に3たび成功し、貴重な科学観測データを届けてくれました。控えめに言っても大成功の探査ミッションだったと思いますし、国際的な月面探査レースの参加者として名乗りを上げる日本にとっての、きわめて大きな成果となりました。
記憶を手繰ってみると、筆者は過去にも重力加速度の値そのものに感銘する経験をしていました。それも地球重力の100万分の1のオーダーの話です。
2019年夏、茨城県つくば市にある国土地理院で「測地学サマースクール」という合宿研修が行われました。測地学とは文字通り地球を計測する学問。この分野を志す学生を集めて親睦も深め、次世代の実務家・研究者育成につなげようというプログラムに、取材で2日間密着しました。興味深いメニューが多々あるなか、記憶に残っているひとつが実習として行われた「重力鉛直勾配の算出」でした。
なにしろ「重力鉛直勾配」という言葉にまず戸惑いました。そもそも重力が向かうのが鉛直方向なのに、それを基準に勾配を測ることは可能なのか?「鉛直」がどれだけ「傾いている」かなんて、知りようがないのでは……。
その後の説明で合点がいきました。ここでいう「勾配」は英語のグラデーションなどと同じ語幹を持つ Gradient(傾斜、徐々に変化する度合い)という語にあてたもので、重力の鉛直勾配とは、鉛直方向における重力の変化率、つまり高さが違うと重力値はどう変わるかを示す数値だったわけです。蛇足ながらこの分野では基本単語のため学生さんたちはみな理解しており、教室の後ろで戸惑っていたのは筆者だけだったと思います。
本題に戻ります。場所による重力の違いが生じる理由には、いくつかあります。
一つが地球の自転です。そもそも地球における重力とは、地球中心に向かって引きつけられる「引力」と、地球の自転で生じる「遠心力」を合わせた力になります。遠心力は速度に比例するため、回転半径の大きい赤道に近いほど大きくなり、極域に近づくほど小さくなります。またこの遠心力は、重力を小さくする方向にはたらくため、赤道に近づくほど重力は小さくなります。
産業技術総合研究所は重力加速度として、北海道で9.803~9.807m/sec^2、沖縄では9.789~9.792m/sec^2という数値を公開しており、これは同じハカリで測った同じ物体を、北海道と沖縄で計測して比較すると、沖縄のほうが最大で1.8%程度小さく表示されることを示します。
商取引に利用される計量器に地域ごとの調整が求められたり、家庭で使う体重計や体組成計の初期設定で地域コードの入力を求められるのもこの理由からで、いずれにせよ正確な秤量のためには重力値の補正が必要になるわけです。
重力にわずかな違いが生じるもうひとつの理由は、地球重心からの距離の変化です。ニュートンの万有引力の法則は、二体にはたらく引力は「質量の積に比例し、距離の二乗に反比例する」と示します。地球上でものを持ち上げることは、「地球の重心から遠ざける」のと同じですから、引力もごくわずかとはいえ減少します。
さらに、地下の質量分布によっても重力の値は変わります。比重の大きい金属などが偏在していれば重力は大きく、相対的に比重の小さい流体(石油、天然ガス、水、マグマなど)が多ければ小さくなり、断層などの不連続面があれば重力値も不連続に変化します。資源探査や防災分野で精密な重力計測の機器やノウハウが磨かれてきた歴史もあるわけです。
「測地学サマースクール」の重力計測実習は、石岡測地観測局の建屋に設けられた「重力観測室」という特別な一室で行われました。打ちっ放しのコンクリートの壁に囲まれ、床には鏡のように表面が磨き込まれた1.5m角の大理石が埋め込まれています。空調も照明も行き届いていますが、家具も装飾もないがらんとした空間で、6つある大理石のプレートの一つには「基準重力点」と記された金属標が埋め込まれています。日本の重力の基準となる場所の一つであり、国内各機関の精密重力計を持ち寄って器差の比較・較正がここで行われます。つまり、日本でもっとも頻回かつ精密に重力計測が行われている場所なのです。
実習では相対重力計と呼ばれる一辺25センチほどの立方体形状の計測器が使われました。ヒーターで一定温度に保たれたバネばかりを内蔵し、その目盛りを顕微鏡で読み取るという原理で、ある場所と別の場所の、重力の100万分の1のオーダーの差を読み取ることができるそうです。これを用い以下の手順で実習が行われ、筆者はその様子を傍らで見守りました。
測地学や地震計測では加速度を表現する場合、ガリレオ・ガリレイにちなんだ“Gal(ガル)”という単位を使います。1Galは1cm/sec^2(=0.01m/sec^2)で、地球上での重力値は約980Galと示されます。そして実習で算出された重力鉛直勾配は360μGal/m、つまり1メートル高い場所では100万分の360Galだけ重力が小さくなる、というものでした。日常生活には全く関わりないと思えるほどのわずかな差ですが、差は間違いなく存在し、それが数値で示されたことに感銘を受けました。またこの数値は、もともとこの場所で計測・算出されていたものともピタリと一致していました。学生さんが喜ぶのと同じくらい、計測の指導にあたった国土地理院の方がホッとされていたのも思い出します。
台に乗せただけでも重力値は変わるという話をご紹介しましたが、もっと高い場所で計測すれば、さらに大きな差が出るはずです。その道のプロフェッショナルが全力をかけ精度を突き詰めた計測実験が、2020年に東京スカイツリーで実施されています。後編ではその実験の概要や目的、そしてGNSSとの関わりについてご紹介したいと思います。
1964年石川県生まれ。産業技術や先端技術・宇宙開発についての取材経験をもとに、子供からシニアまでを対象に難解なテーマを面白く解きほぐして伝えることに情熱を燃やす。宇宙航空研究開発機構機関誌「JAXA's」編集委員(2009-2014)。著書・共著書に『あなたにもミエル化? ~世間のなりたちを工学の視点から~』(幻冬舎mc)、『私たちの「はやぶさ」その時管制室で、彼らは何を思い、どう動いたか』(毎日新聞社)、『東京大学第二工学部70周年記念誌 工学の曙を支えた技術者達』(東京大学生産技術研究所)ほか。
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