コラム
時計が確かなら「雲も掴める」というお話

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高温多湿のアマゾンで見たものは

暑さはもちろん湿気も体にこたえます。猛暑や残暑のニュースを見ながら、30年ほど前に使っていたある変わり種の電子文具を思い出しました。温度計に加え湿度計も搭載した時計つき電卓、カシオ計算機の『UC-500』という商品です。

1990年代初頭、携帯電話普及以前の家電量販店の店頭では多機能盛り盛りの小型電子機器が妍(けん)を競っていました。同社は得意の電卓に温度、湿度、電池電圧、紫外線など各種センサーを搭載するという、いま思えばナナメ上を行く戦略でラインナップを充実させており、『UC-500』もその文脈に位置づけられる商品でした。余談ですが、そのナナメ上志向は後の多機能デジタル腕時計G-Shockシリーズに継承され花開いたように思います。

時計付環境測定機 AIR CONDITION CHECKER UC-500(カシオ計算機)
出展:グッドデザイン賞サイト(1992年商品デザイン部門受賞)
https://www.g-mark.org/gallery/winners/9cc85984-803d-11ed-862b-0242ac130002

『UC-500』は計測した温度と湿度から、その場の環境を「カイテキ」などと文字で表現します。行き過ぎた高温多湿環境の場合の表示は「アマゾン」でした。鮮明にそれを記憶しているのは、表示を見たのがほかならぬブラジル・アマゾンでのことだったからです。

日本から長距離フライトを3便乗り継ぎ6連続機内食で到着したアマゾン中流の大都市マナウスまでが30時間。さらに小型機と船で一昼夜かけてたどりついたのが、人口数千人のニャムンダという小さな村でした。宿舎で荷をほどき、目にしたUC-500に表示されていたのがまさに「アマゾン」。暑さと湿気でヘトヘトながら、何か茶化されたような励まされたような気になり、「確かにそうだ」と笑いが込み上げてきたのを覚えています。

当時の私がその電子文具に興味を持ち、アマゾンに持ち込もうと思ったのは、携行できるサイズのリーゾナブルな湿度計が珍しかったからでした。小型の電子式湿度計は、センサーとなる吸湿部材が空気中の水分を取り込むことで生じる、静電容量や電気抵抗値など電気的性質の変化から、湿度を推測し表示する仕組みです。温度計のように小数点1位までの計測は原理的に難しく、「表示精度±10%」などとかなりざっくりしたものでした。たしかにそれ以上の精度が求められる場面も、日常生活ではちょっと思いつきません。

予報精度を水蒸気量の観測で押し上げる

いっぽうプロの世界には、空気中の水蒸気量を正確に計測したい分野が存在します。もちろんそれは、気象予報の世界です。

そもそも降雨とは、空気中の水蒸気が凝結して雲となり、液体の水となって地上に落下する現象です。物質としての水は大きな潜熱を持つため、このプロセスを通じ大きなエネルギーの移動が生じます。気象の変化に大きく影響する水蒸気の量を、正確かつ広範囲かつリアルタイムで把握できれば、予報の正確さが向上するのも道理。いってみれば「雲を掴む」ことで予報精度を上げることが可能です。そしてこのために実はGNSSも役に立っているのです。

気象庁は2009年からコンピューターシミュレーションによる気象予報(数値予報)のシステムに、国土地理院のGEONET(全国約1300の電子基準点によるGNSS連続観測ネットワーク)のデータを解析して得られた「可降水量」と呼ばれる数値を活用し、精度向上のための改良を続けながら使っています。
可降水量とは「降水となり得る水の総量」という意味で、大気中の水蒸気量の指標となる数値です。GNSS観測でなぜそれが推定できるのかについて、日本測地学会が初学者向けに公開しているWebテキストの解説を引いてみましょう。

「気象数値予報の精度を向上させるため,気象学者は常に新しい測定手法を求めていた.一方,GPS測量の精度向上を目指す測地学者にとって,大気中の不均一な水蒸気の分布は,GPS衛星から送られてくるマイクロ波の進行を乱し,特に上下方向の測位精度を悪化させる厄介な誤差要因であった.
このような,水蒸気をシグナルとする気象学と,水蒸気をノイズとする測地学とが出会い,幸せな結婚に至ったのが,GPS気象学である.」
(Webテキスト 測地学 新装定版, 第3部 応用編 GPS気象学, https://geod.jpn.org/web-text/part3_2005/tsuji/tsuji-1.html

測地学における水蒸気は誤差要因であり、そこを正確に見積もれれば測位精度向上が見込めるいっぽうで、気象学においても、水蒸気量の正確な推定が気象予報精度の向上に直結するというWin-Winの関係が成立し、GPS気象学というジャンルが生まれました。1990年頃には各GPS観測点におけるmm精度の測位が実現し、同時に先述の「可降水量」も十分な精度で推定ができるようになったといいます。従来からあった気象ゾンデ(風船でセンサーを上空に運ぶ)観測をはるかに上回る密度と頻度でデータを取得できる点が大きな強みとなっています。

空や雲を見て天気を予測する「観天望気」という言葉があります。アメダスのような観測網や、ひまわりのような気象衛星の活躍は知られていますが、さらにGNSS衛星(からの電波を「観る」という連続観測)も役に立っていたというのは、あまり知られてはいないものの興味深いトピックスと思います。

地デジの電波でゲリラ豪雨を予測する

宇宙から降ってくるGNSSの電波だけでなく、地表を伝搬する電波を使って水蒸気量とその分布をさらに詳しく解明しようという試みも進められています。使われているのは地デジの放送波です。東京スカイツリーなどの送信設備には、正確な周波数を維持するため原子時計やGNSS時刻同期システム、あるいはその両方が備えられています。もちろん放送波ですから出力も大きく、非常に良質の電波源と言えます。

NICT(情報通信研究機構)は2017年、地デジ放送波を使った水蒸気量推定手法の開発に成功したと発表しました。直接波と反射波を解析することで、反射波の伝搬経路上の遅延量を求め、そこから経路上の水蒸気量を推定するというものです。資料には「距離5 kmの伝搬で水蒸気が1 %増えると、約17 ピコ秒(1ピコ秒は10億分の1秒)の遅延が生じる」と解説されています。17ピコ秒は電波が約5mmだけ進む時間に相当します。
アナログ放送時代に生じていた邪魔な「ゴースト」は、いってみれば反射波の遅延量を可視化したものと言うこともできました。デジタル放送ではその影響を消す信号処理が行われているわけですが、そこで消されていた情報(遅延量)を正確に求めることで、まったく別のジャンル――ここでは大気中の水蒸気量分布という――の意味ある情報を読み取ることができたという、こちらも興味深い研究です。

GNSS電波による水蒸気量推定は、衛星からの電波を使うため鉛直方向の計測が得意ですが、地デジ放送波の水平伝搬を用いると、面的な広がりを把握しやすいというメリットが生じます。どちらにも共通しているのは、電波源の時刻や周波数が信頼できるものであることが、解析の前提となっています。

ゲリラ豪雨や線状降水帯発生の早期予測への貢献が期待される手法として注目を集め、実用化に向けた研究が進行中だそうですが、背後には確かな時計が役立てられていました。時計が正確ならば雲だって掴めるかもしれないという一席、おあとがよろしいようで――。

『雲を測る男』ヤン・ファーブル(ベルギー)
金沢21世紀美術館恒久展示作品
筆者撮影

記事のライター

喜多 充成氏

喜多 充成   科学技術ライター

1964年石川県生まれ。産業技術や先端技術・宇宙開発についての取材経験をもとに、子供からシニアまでを対象に難解なテーマを面白く解きほぐして伝えることに情熱を燃やす。宇宙航空研究開発機構機関誌「JAXA's」編集委員(2009-2014)。著書・共著書に『あなたにもミエル化? ~世間のなりたちを工学の視点から~』(幻冬舎mc)、『私たちの「はやぶさ」その時管制室で、彼らは何を思い、どう動いたか』(毎日新聞社)、『東京大学第二工学部70周年記念誌 工学の曙を支えた技術者達』(東京大学生産技術研究所)ほか。

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