コラム
GNSSで地球の“いま“を知る

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地質や植生や人口分布など、テーマに沿って情報を描き込んだ地図は「主題図」と呼ばれます。学校で教わりますし、ニュース解説やプレゼン資料などでもよく見かけます。この主題図を3次元に拡張し、球体に地図とデータを投影した、いわば主題地球儀(Thematic Globe)とでも呼ぶべきものも、以前から存在していました。
私が最初にそれを知ったのは、1990年に日本で出版された『地球56の顔』(小学館)を通してでした。ドイツ出身の美術家インゴ・ギュンターのプロジェクト”WORLD PROCESSOR"をまとめた写真集です。

『地球56の顔』(インゴ・ギュンター, 小学館, 1990) 筆者撮影
https://ingogunther.com/#/worldprocessor/

収載された56の地球儀には、たとえば「1990年のオゾンホール」「難民流出状況」「軍事予算」「チェルノブイリの雲」といった刺激的なタイトルがつけられています。政治・経済・社会・環境などに関わるデータが直径30cmの球体、すなわち1:4200万の地球に収まるよう注意深く編集され投影されています。プロジェクトが始まった1988年は、雑誌『TIME』の”Person of The Year” に「危機にある地球」が”Planet of The Year”として選ばれた年でもあり、また翌1989年にはベルリンの壁が崩壊。これを契機にソビエト連邦から共和国が次々に独立し、冷戦終結に向け世界地図がダイナミックに塗り替えられていく時期でした。そうした時代背景の中で、地球儀をキャンバスにデータで“今”を描くジャーナリスティックなアート作品が注目を集めたのも当然のことでした。プロジェクトは現在も続いており、描かれた地球の顔は1000を超えているといいます。

地球規模で妨害波を可視化するGPSJam

さて、現在では誰もがインターネットを通じ、バーチャルな地球儀を自在にズームイン/アウトして眺めることができます。かの手法を継承しているかもしれない主題地球儀も、数多く見つけることができます。以下にご紹介する「GPSJam」は、とりわけ今日的なものの一つと言えるでしょう。

出典:https://gpsjam.org/ John Wiseman

米・ロサンゼルス在住のソフトウェアエンジニア、John Wiseman氏が作成するGPSJamは”Daily maps of GPS interference”(日々のGPS妨害地図)と添えられた説明のとおり、世界規模でGNSSへの妨害活動を日次記録したものです。GPS妨害にはいくつかの手法がありますが、まずここで対象としているのは大出力の妨害電波による「ジャミング」と呼ばれる手法です。
GPSJamでは佐渡ヶ島ほどのサイズの6角形のセルを単位とし、測位精度が低下していると見られるエリアを、その頻度により3色に塗り分けて表現しています。UTCにおける1日ごとに情報は更新され、過去の日次データは2022年2月14日まで遡って参照することができます。
妨害の有無を推測する手がかりとしているのが、航空機が発信するADS-B信号です。ADS-B信号とは、航空機自身が安全や効率のために、自機の識別番号・位置・速度などを、規格に従って放送するもので、適切な機材があれば誰でも受信が可能です。
航空機の追跡で知られるFlightradar24やADS-B Exchange、AirNavi RadarBoxなどは、世界中から集められたADS-Bの受信データを可視化するサイトである、と聞けばピンと来るのではないかと思います。
ADS-Bに盛り込まれているデータの中には、測位結果の信頼性や精度をあらわす「インテグリティ」と呼ばれる項目も含まれています。GPSJamではこれをジャミングを推測する指標とし、塗り分けの根拠にしています。

スプーフィング(なりすまし)という巧妙な手法も

放送や通信もターゲットとしてきたジャミングは、いわば原始的で暴力的な手法と言えますが、GNSSの場合には「スプーフィング(なりすまし)」という巧妙な手法も存在します。
そもそもGNSSの民生向け信号の仕様は基本的に公開されているため、ある地点である時刻に受信されるであろう信号を、ソフトウェア的に生成して再現することが可能だからです。もちろん、「可能である」といっても、測位には複数衛星の信号が用いられるため、それらすべてを高い整合性で再現するには相応のソフトウェアや計算機、送信設備を用意しなければならず、ジャミングに比べ難度は格段に上がります。
もちろん受信側にも対抗策は存在し、多周波の利用や不整合を検知するアルゴリズムの高度化、あるいは指向性を有するアンテナなどの研究・検討が続けられています。本質的にスプーフィングは受信機の開発・評価で使われるGNSS信号シミュレーターと同様のことを行っているので、「より高度なシミュレーターが作れれば、より妨害に強い受信機も作れる」のは大筋で間違いではありません。
GPSJamのWiseman氏は、今後同サイトに実装するために、スプーフィングと思われる事象を抽出したり、信号の発信源を推定するアルゴリズム(たとえば突然の位置ホッピングの検知など)を開発中といいますが、そのためにまず「飛行機が飛んでくれないと、妨害波の存在もつかめない」と訴えます。

平和を可視化する地球儀にもなれるはず

同サイトではデフォルトで、画面の中央にウクライナが示されます。1991年、黄と青の国旗を掲げ独立した同国ですが、現時点のGPSJamでは緑にも黄色にも赤にも染まっておらず、ぽっかりとデータが欠落しています。ADS-B信号を放送する航空機がそもそもこの上空を飛んでいないため、推測の元となるデータも得られない状態だからです。日付を遡り、ロシアがウクライナ侵攻を開始した2022年02月24日前後のデータを見ることで、航空機からのデータが消失していくプロセスをはっきりと見ることができます。
2023年末現在では、ロシア西部からバルト3国、トルコからイスラエルに至る地域、インド・パキスタン国境、米・メキシコ国境などに妨害の存在を意味する黄や赤のセルが存在しています。欧州においてGNSS妨害は差し迫った問題であることもよく分かります。
妨害への対策にまず必要な「妨害波の検知」は、すでにある程度、既存の機器とシステムで、地球規模で実現しているというのも、考えてみればすごい話です。紛争のただ中にある赤や黄色のエリアが急にグリーンになるのは難しいかもしれませんし、データの得られないエリアが減る時期もまだ見通せません。だとしてもGNSSの妨害を通じて紛争の現場や紛争のリスクを知ることのできる地球儀は、同時に紛争のない平和な状態を映す地球儀にもなり得るはず――、というのはナイーブにすぎる感傷でしょうか。

記事のライター

喜多 充成氏

喜多 充成   科学技術ライター

1964年石川県生まれ。産業技術や先端技術・宇宙開発についての取材経験をもとに、子供からシニアまでを対象に難解なテーマを面白く解きほぐして伝えることに情熱を燃やす。宇宙航空研究開発機構機関誌「JAXA's」編集委員(2009-2014)。著書・共著書に『あなたにもミエル化? ~世間のなりたちを工学の視点から~』(幻冬舎mc)、『私たちの「はやぶさ」その時管制室で、彼らは何を思い、どう動いたか』(毎日新聞社)、『東京大学第二工学部70周年記念誌 工学の曙を支えた技術者達』(東京大学生産技術研究所)ほか。

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